訃報ばかりだが

映画「キリング・フィールド」のモデル死去 65歳

シャンバーグ記者はポル・ポト派によるプノンペン陥落の際、プラン氏の家族の脱出に尽力したが、プラン氏を残して立ち去るしかなかった。
しかし、プラン氏はポル・ポト派による大虐殺を生き延びて、2人は4年半後に再会。その後、プラン氏はニューヨーク・タイムズのカメラマンとして活躍した。
米国へ移住後は、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)の親善大使を務めたり、ポル・ポト派による弾圧を受けた人々の支援団体を立ち上げた。
シャンバーグ記者は、プラン氏の体験を描いた「The Death and Life of Dith Pran」を雑誌に寄稿。この記事は1976年にピュリッツァー賞を受賞し、その後の著作「キリング・フィールド」の原点となった。

キリングフィールドは高校時代にみた映画の中で最も印象にのこっている作品の一つ、文字情報としてのポルポト時代の知識が明確な印象/演出に置き換えられた瞬間、もはや見る前と同じ光景を想像することは不可能だ。

ちなみに今日はランダウの40回忌でもある。