TOE : The Theory of Everythingについて

TOEとはthe Theory of Everything の略であり、日本語では「万物の理論」あるいは「究極理論」と呼ばれる。厳密な定義のある学術用語ではなく、単に「重力とゲージの統一理論」を指している場合や「自然界のすべての物理現象を説明するたった一つの構造(マスター方程式)」を指している場合が多い。そして後者の意味でのTOEを見つけることこそが物理学の最終目標だと信じている人たちがそれなりに存在する。

我々は20世紀初頭から比べればかなりのことを説明できるようになった。宇宙について語ることができる。存在と力の根源について語ることができる。星や大地について語ることができる。GUTの先にあるゲージ/重力どころか、インフラトン場やMass-spectrumのような最後の困難ですら手が無いわけではない。十分に巧い仮定と数学的な革新があれば我々の認めるところのほとんどの物理現象を合理的に基盤づけることは(困難ではあるが)射程圏内だろう。最終的なスケールや真空の決定に弱い人間原理の導入が不可避であったとしても、十分な整合性と説明能力のあるミクロ理論を構築することは人間にも可能だ。しかし、それは無制限の「真理」みたいな気持ち悪い理論を意味することはない。

自然科学は究極理論などに至る道ではないし目指すものでもない。TOEという発想は神学や科学哲学に特有の甘い果実の香りがする。自然科学に特有の泥臭さも無ければ検証という人間の営みからも外れている。TOEは超越的な理論であり、様々な異論や可能性を拒絶した唯一の構造だ。実証/反証と仮説の積み重ねを旨とする自然科学というプロセスの終着点に、TOEという究極存在はそぐわないものだ。科学というプロセスとは異質な何か。仮に、TOEがある日突然天から降ってきたとしても、適応範囲が無限なのか人間の科学プロセスでは検証できない。

一応断っておくと

  1. 多くの分野で研究が進めば進むほど分からないことが増えるという一般現象とは無関係だ。
  2. またミクロな究極原理が降ってきたとして、そこからマクロな現象をすべて演繹することが事実上不可能であることとも今回は無関係だ。
  3. マクスウェルの悪魔がミクロの究極理論であるTOEから世界のすべてをシミュレートしたところで物性や生命を理解したことにはならないが、それも今回の話とは無関係だ。

TOEの実在を信じることは科学でない。自然科学のコミュニティの中に置いてすら生まれる、ある信仰の元に夢想された「神」のような仮想存在だ。その信仰、すなわち無制限の「真理」という甘い誘惑への陥穽は至るところに存在する。

しかし、TOEという信仰は不快だけど結構好きだ。「あなたは何らかの信仰がありますか。」と聞かれたら「はい」に丸をつけるかもね。