ダーウィニズムを伝えることは意外に難しい

茂木さんを「駄目」と決め付ける人ってやっぱりいるんだね - 諏訪耕平の研究メモ
を読んだ。状況から推察するに、ダーウィニズムはどうも難しいらしい。

ダーウィニズムって一見誰もが知っているように見えて、コアの発想をちゃんと抑えている人は意外に少ない。理科系であっても非生物系なら単に「生き物がどんどん進化して別の生物に枝分かれして今の姿になったとする説」ぐらいの曖昧な理解の人は結構いて、そういう方々にとっては批判が何に対して向けられているのかわかりにくい。現実にはそういうレベルの話ではないのだが、傍目には枝葉末節レベルの議論を9:1ぐらいの戦力比で優勢な主流派と非主流派が争っているように見えるのかもしれない。

幻影随想:福岡伸一氏の書く文章が到底見過ごせないレベルで酷い件
Liber Studiorum 福岡伸一批判強化週間

批判されている福岡さん当人については触れない。私は彼の著作を「生物と無生物のあいだ」しか読んだことがない。他の本も、まして論文も読んだことはない。

その分野にほとんど馴染みのない人達にはどう映るのだろう

専門者が「彼はこんな基礎的な内容からして滅茶苦茶だ。」と批判するとき、その内容は非専門のオーディエンスには何を批判しているのか訳が分からないし重箱の隅をつついているようにしか見えないというのはよくある。

「獲得形質」だとか「用不用説」というのは勉強した人にとっては基礎中の基礎で、これを混同するのは悪質な詐欺師か何一つ理解していない人間*1 と考えるに無理はないだろう。昔、ハセマリ&ハセジュの「適応行動論」*2をとったときに、進歩だとか目的論だとか主体性だとかその辺の誤解が多そうな場所は神経質なくらい試験で聞かれた記憶があるが、この程度の区別が付かないようでは、見解の違いや減点というレベルでなく普通に不可を頂戴することになる。

物理の例だと、「双子のパラドックス」や「車庫入れのパラドックス」が相対性理論の矛盾だといってしまう方々が思い浮かぶ。そんな発言をしている段階で、相対論を何一つ理解していないか確信犯でやっているのは明らか。「双子のパラドックス」は既習者にとっては別にパラドックスでもなんでもない初歩的な思考実験に分類されるし、使われている数学だって中学校で習う。「こんな基礎も押さえないで、批判の口を開いているなんて。」と既習者が言う気持ちは理解できる。

しかるべき影響力と立場を有した人間のアレな主張には、しかるべき批判がつくのが健全というもの*3。とはいえ、それを聞いている門外のオーディエンスにとってはかなり辛い。どれだけ説明が増えても「分からない」とか「重箱の隅」だとか「解釈の違い」という方々は噴出している。「ダーウィニズム」も「相対性理論」も中の人が思っている以上には難しい。既習者や得意な人間にとってはシンプルな原則であっても、元よりA4一枚程度の文章量で誰もが理解できる概念ではない。とはいえ、本を紹介しても、読むのは僅か。

私たちは議論する上で必要な前提知識をすべて用意できる訳ではないし、ある表現に対してどのような解釈をされるかはバックグラウンドによって大いにばらつく。どんなに注意して簡単に説明したつもりでも、オーディエンスには「よく分からないけど議論があるみたいだ」といったような感想が残りがち。

そんな状況でのリアクションとなると・・・

議論の内容自体は理解できないし判断するだけの材料はないが、話者の人物評価や周囲の空気を読むことなら自分にも出来る。妥当な判断かはさておきね。


内容を判断可能なレベルまでの経験値蓄積がない状況でとれる戦術は「どのプロセスが、そして誰が信頼できるか」を判断すること。「この人は今までも疑似科学を批判してきたし、過去にあった相手の色々な反論に対しても隙が無い人だから、信頼できるだろう。」あるいは「科学を絶対であるかのように扱い、相手を上から目線でこき下ろしているひとなんて信頼できない。」とか、「まったく詳しい分野じゃないけど、専門知が膨大な議論の末に導いた体系なんだからしかるべき妥当性をもっているんじゃないのかな。」とか、「科学とはある時代における指導的な視点の集合に過ぎず、・・・」とか、「誰/何を信頼するかゲーム」に移行した時点で「内容について考え議論すること自体」から逃れることができる。


議論内容の判断はできないけど、何らかの感情は動いたので、口は出したい。あとは人柄評価だとか科学論だとかメタな方向で戦うのが最適戦略。そこなら5分で戦えると思うから。判断も出来ないのに背伸びして、どこかから残念な論文を見つけてきて誇らしげに引用してこんな説もあると反駁した気になるのは、自爆するための手榴弾をわざわざ持って行くようなものだ。

こんな感じかな、だいぶ話がずれたな。

*1:批判されている当人が確信犯か残念なのかはわからない。ちなみに、「生物と無生物のあいだ」は残念ながら特に気持ち悪くならずに読んだ。別に学術書じゃないし、立花あたりの文章にも慣れきっている。

*2:ところで、まだあるか知らないけど例の夫妻の「適応行動論」は面白い授業なので履修して損はないと思う。

*3:リンク先で言われているように、批判されている当人が物を知らないということはないのだろう。ただ事実より主義が優先されるというだけで。