21g

そういえば高校生の頃、「人が死ぬときに少しだけ重さが軽くなる」なんていう小話を帰りのバスで聞いた。

その時はあまりよく考えずに微妙なる違和感と供に、

  1. 人体からは水分が失われ続けるし腐敗すればガスが出るが、ちゃんと人体は密封用機に詰めて十分な制度の計測器で測定したのか?
  2. 死の定義は曖昧だけど、軽くなるのはどの瞬間?自発的呼吸の停止?脳死の瞬間?三徴候が見られたら?それとも人体を構成していた細胞が一つでも生きていたら、例えば摘出した癌細胞が1個でも培地で生きている状況はある視点においては生きているけどOK?


程度の軽い突っ込みをしたくらいで、考慮に値すべき確立された実験ストーリーとしての体裁を整えるに至っているという判断には至らなかった。その頃は丁度、脳死を人の死として認めるかの論争がホットで、仮に軽量化現象の存在を認めたとしてもそれが死を直接指定するものではなく、新しく付け加わった徴候の一つとして死の判定基準をさらに複雑で面倒なものにするに過ぎないというのもあった。死の徴候の順番によるが、心肺機能が人工的なシステムで保持されピンク色の肌が保たれている場合、軽量化徴候が見られれば「死」を判定して治療を打ち切ってしまう設定は社会的に適切なのかという脳死同様の議論は当然付与される。軽量化を他の徴候に対して優先権を与える根拠は不明で、魂云々語る以前の問題だ。

さらに今付け加えるなら

  1. 言っている人によって数値が違いすぎ。誤差範囲も不明であり、安定して有意な差が確認されない。
  2. リファレンスが無い。語られるのは常にソース不明の伝聞でしかない。
  3. 生物と無生物の境界は曖昧。人のみに限られるのか。生物個体による違い、あるいは成立する領域が実験的に明確に語られていない。
  4. タンクに大量の微生物を詰めて滅菌と培養を繰り返したら永久機関が作れるのか?
  5. その質量差分が仮に魂云々だったとして、それが宇宙あるいは地表近傍に占める質量割合は?重力は?
  6. いくつかの精密重力実験や、化学実験の精密測定に対してconsistent?


などなど軽く考えただけでも、枚挙に暇ない。なにか微妙な現象を「ある」と主張するのは結構骨の折れる作業で、ある程度信頼できる結果として打ち立てるには、想定される多くの突っ込みや疑念に丁寧に答える義務がある。議論が閉じているか、ちゃんとストーリーとして筋が通っているか、その存在を主張するにあたり衝突する現象は存在しないか、引用される数値や図表はすべてオーソライズドされるものか。それらの疑念や要請に答え説得力を持った成果と報告を作るのはとても疲れる作業ではあるが、そのプロセスこそが新しい"リアル"を確立する行為であり研究の醍醐味でもある。

それに比べれば結果として得られた知見自体などゴミくずにすぎんよ。