メモ:「原因はなにか」で語れること

株式持ち合いが云々という少し古いしょんぼりな文章を読んだので、もっと残念な文章を草稿しておく。

  1. ある成功/失敗している事象を探してくる
  2. それを構成する要素で特異的な性質をあげる
  3. それをその成否を決定づけた「要因」として言及する
  1. この車は調子が悪い
  2. 他の車と比較して違うのはハンドルの形状が異なることだ
  3. 原因はハンドルの形状に違いない

「何故うまくいっているのか」と「何故うまく行かないのか」という問いの立て方による結果の差異と、構築できる論の有効射程は無限ではないがどの程度なのか予想がつかない。トータルで動いているシステムの一部を抽出してきて分析するというやり方にはいろいろと物言いがあるにせよ、プラスの要因(強み)とマイナスの要因(問題点)を挙げてそれを統合していくことで結果を説明するというモデルは自然だし非常にイメージしやすい。

ただ、この論法が有効に作用する範囲は今まで思っていたより狭く感じている。せいぜいシステムが成功しているという事実確認ができるくらいで、射影された各々の要素に強み/問題点なるブール値は付随していない。成功/失敗を導出する模型関数としては線形加算な議論よりも恣意的だ。「時代と環境がかわったので」という万能意味無し言葉を加えて強みが問題点になったというのはラクチンだけど、(文章中でバブル期に日本の"強み"としている諸々の要素が現在言われている事を鑑みるに)下手をすると何でも言えてしまう。それらの性質がシステムを特筆すべき性質であったとしても、功罪議論のパラメタとして用いることのご利益はすこし疑わしい。現況分析と結論ありきで、語られた要素を集めたところで成功/失敗が自動的に演繹できる訳ではないからだ。

システムの中に強み/問題点として機能する独立要素が"実在する"と仮定し、ここをこうすれば改善するという定性的な議論を実行したときの改善成功率が50%を有為に超えない分野/領域については、フィクションなので思考節約の精神に則りその類の「原因は何か」議論をやめてもいいと思う。