『宇宙生物学』は限りなく古く、また常に新しい

科学は栄枯盛衰を重ね移ろい行く。惑星観測が流行り、熱機関が流行り、原子核が流行り、情報が流行り、分子生物が流行り、ポストゲノムが流行る。科学のフロンティアは砂の上を常に移動する湖のようなものだ。そんな科学という濁流の渦の中で、永久に最先端でありつづけるようなテーマなどあるだろうか。

そんなとき私はこの問いを思い浮かべる。それは神話の時代に遡る問いだ。

宇宙生物学「他の天体、あるいは宇宙空間に生物は存在しているのだろうか。」

月に生える桂の巨木、太陽に築かれた玉座、星の世界の世界から来た神々、ある者は火星に運河を見いだし、あるいはジョルダーノ・ブルーノのように天に満ちる全ての星に神の恩寵を受ける無数の太陽系を見た者もいるだろう。現代にはいってからは、緑の小人、ヴォイジャー、火星探査、SETIカッシーニ、連綿と続く探求の系譜だ。

この数百世代の系譜において誰一人として地球外生命の存在を確定する事に成功した者はいない。

現物が無いのにこれほどの永きにわたって探し続けられた研究対象はほとんどないだろう。無論、「死後の世界」だの「超鉄的存在」だの、人類の黎明から探され続けているものは他にもある。しかしそれが「悪魔の存在証明」ではなく、正統な自然科学の営みとして見なされ、少なくない予算がつけられ、適切な方法で議論・検証されうるものと思われている対象となるとどうだろう。5000年探して見つからなかったものに予算がつくというのはちょっとしたスキャンダルだ。

膨大な研究が蓄積され、自然科学の勢力図がどのように書き換えられようとも、宇宙生物学はつねに最先端の問いだった。この世代で見つからなくとも、人類は飽きずに何千年と問いを続ける自信はあるし、もし、見つかればそれはそれで美味しい。

宇宙生物は永遠のフロンティア、これまでも、これからも

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

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いない≠見当たらないという本ではある。