衛星撃墜:デブリだ、スケーラーだと騒ぐ前に

アメリカは制御不能に陥った偵察衛星NROL-21/USA-193をSM- 3で迎撃することを決定したそうだ。安全のため作戦はアトランティス地球帰還をもって開始され、撃墜日時は2/21 03:30 GUT ハワイ沖説が濃厚だ。すでに空軍による当該時間帯の飛行禁止通達が出ており、イージス巡洋艦レイク・エリーをはじめとする3隻が既にハワイを出航した可能性が伝えられている。衛星は夕暮れのハワイ上空240キロを秒速8キロで通過する。SM3の射程で捕らえられる迎撃チャンスは非常に限られたものだが、弾道ミサイルと違って地球を周回しているので外しても機会は何度かある。撃墜高度のもつ戦略的意味についてはBM/BMDとかASATとかノドンとか衛星機密とかその手の人たちの間ですこし話題になっているようだが(ミッドコース的な意味で)これについては触れない。



衛星は大気最上部のエアブレーキによってするすると高度を下げてきており、高度200kmを切るまで降下すれば4日を待たずして地上に墜落する。現在の落下推定日は3月6日、場所は軌道角より緯度60度以内である以外の詳細は不明だ。カナダだとか、東アジアの北の方なんていう話はでているが与太話の域を出ていない。ルーレットと同じで制御できない衛星落下の正確な位置測定は極めて困難だ。特に大気圏突入の最終段階では機体が分解し始め、大気との相互作用は極めて複雑になる。衛星は非常に速い速度で運動しており、落下が1分ずれただけで場所は500km変動する。実際はともかく*1公式な撃墜理由としては「有害なヒドラジンを残したままの衛星が人口密集地帯に落下するとまずいので人道上の措置により」となっている。

*1:いきなり弾道ミサイルで 240km実験をするのは不安なので比較的簡単とされる衛星で試すとか、軍事機密の塊である偵察衛星が非友好国に落下回収されるのを防ぐためとか、これ以上高度が下がると地上の光学機器によって衛星の細部が調査されるためとか、事故にかこつけたリアルASATだとか、いろいろ言っている人はいるようだ。

で、本題のデブリの話。

この手の話になるとすぐに「デブリが心配」いう方がいらっしゃる。スペースデブリの問題に興味をもっていただけるのはうれしいのだが*1、どういう状況でデブリが発生するのか理解するのは若干敷居が高いみたい。デブリって単純に高度数百キロに物体が発生すればなる代物ではない。宇宙船からちょっと塗料が剥がれただけで鋼鉄をも貫通する恐ろしいデブリになるが、ブースト段階にあるロケットが爆散したところで問題にはならない。や、衛星軌道の世界って単純なように見えて難しいよね。

  1. 発生デブリがどんな速度を得たとしても近地点高度は下がりこそすれ上昇しないこと
  2. 弾道と地球周回軌道はおなじ高度を共有する事はあっても速度がまったく違うこと
  3. スペースシャトルの高度でも地上とほとんどかわらない重力が存在すること

というのは、高校物理を履修した人間にとってはごく自然なことだけど、そうでない場合にはあまり実感が沸かないことだと思う。例えば中国の衛星破壊実験後に書かれ、幾多の研究者/技術者を震撼させた世紀のトンデモ記事「星くずのブーメラン」は、悲しいけど、まぁ、仕方がないのかも。

デブリ」とはフランス語で崩れ落ちた岩のかけら。「スペース(宇宙)デブリ」と言えば、宇宙に放置された人工衛星やロケットの破片である。宇宙ゴミとも言われる。

 中国がミサイルを使った衛星撃墜実験を行ったら、握りこぶし大のスペースデブリ517個が発生した。地球の周囲を周回している。もしも、ほかの人工衛星宇宙ステーションに衝突したら大事故になるという。

 日本政府はこのデブリで中国を非難した。確かにデブリの発生は問題なのだが、よく考えるとデブリはブーメランのように日本自身に戻ってくる問題でもある。
 なぜなら、宇宙空間を飛んでくる敵のミサイルを迎撃ミサイルで爆破するという米国のミサイル防衛(MD)システムに、日本は資金面、技術面で協力しているのである。
 ミサイル防衛に反対する米国の科学者たちは「ミサイルの迎撃は大量の宇宙ゴミを出すので、低軌道を使う人工衛星が永久に使えなくなる」と警告している。中国製のデブリが悪いなら、ミサイル防衛で出る米国製デブリも非難されなければならない。

 ではデブリの出ない衛星攻撃兵器ならいいのか。中国の実験後、米国政府が公表した資料によると、中国が研究しているのはミサイルによる衛星撃墜だけではない。「米国の衛星は最近、中国から地上レーザーの照射を受けたが、損害はなかった」という。宇宙軍拡で米国を追う中国はデブリの出ないレーザー兵器も研究しているのだ。完成しているかもしれない。
 かつて米国とロシアが弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を結んでいた当時、ミサイルによる衛星攻撃は禁止されていた。レーザー兵器はそれに代わって開発された。

 地球の周りには日本の衛星も回っている。破壊されては困る。日本が中国に申し入れるべきは、衛星攻撃兵器の禁止ではないだろうか。

 だが、これもブーメランである。衛星のミサイル攻撃を禁じたABM条約を一方的に破棄したのは、米国のブッシュ大統領である。ミサイル防衛に不都合だったからだ。
 一方、ジュネーブ軍縮会議で衛星攻撃兵器の禁止を提案してきたのは中国だ。米国は反対した。日本が中国の宇宙軍拡に反対しようとするなら、ミサイル防衛にも反対しなくては筋が通らないのである。(専門編集委員

(毎日新聞 2007年2月8日 『早い話が:星くずのブーメラン=金子秀敏』より)

市井の人間なら兎も角さすがに記者がこんな酷い文章を書くとなると、「脳内科学者の御言葉ヤメレ。」とか、「物理の教科書でも買って3年ROMってろ。」と言いたくもなるが、校閲体制のある新聞ですらこのレベルの科学リテラシーで書かれた記事はそれほど珍しいものではない*2。まして、基礎知識のない人間がチェックも受けずに何も調べずにブログなんかで書けばどうなるかは推して知るべし。

さて、デブリについて言及するために最低限知っておくべきミニマムは何だろう。

  1. ニュートン力学:基本的な重力理論と軌道速度、各宇宙速度や弾道との違いを知らずに口を開くのはどうかと。
  2. 軌道遷移の自由度:衝突地点は新軌道の一部を成しているのだから制約があって当然だよね。多くの発生デブリは軌道の一部が地球内部にめり込むことになるし、水平に加速されたとしても近地点高度を上げないといずれ濃密な大気を何度もかすって落ちてくる。近地点高度をあげるにはアポジ噴射のような2段階目の自発加速が必要だ。デブリが勝手に能動加速するには付着した揮発性成分の噴出など非常に特殊な用件が必要だ。
  3. 各高度の大気圧のオーダーおよび、デブリの軌道滞在時間:高度800kmと200kmと100kmではどれも同じ真空のように見えて、大気濃度も軌道安定性もまったく別次元の世界であることを理解していること。軌道寿命は小型衛星程度の大きさで、100kmで数分、200kmで3日、400kmで20 年、800kmで数百年、静止衛星軌道で数万年であり、問題の次元はまったく異なる。無論、小さいデブリほど速く落ちてくるし、発生デブリが楕円軌道になると濃密な大気の滞在時間がどのくらいになるかが重要になってくる。
  4. デブリの特性:サイズ分布、高度分布、主な発生要因、宇宙船に衝突した時の影響、スケーラーシンドロームと現在の状況のこと

ちゃんとした文章を書こうと思ったらこの程度では済まないのだが、このくらいは抑えておかないとガッカリするような文章が量産されることになる。

*1:プラネテスあたりの影響かな

*2:ただし、ゲーム脳からGMに至る幅広いラインナップを揃えた、トンデモに定評のある毎日新聞だ。