科学技術と終末オカルトが終わって時代は小さな疑似科学とかいうメモ
[1]夢の21世紀を迎えてしまったこと、つまり"未来"の死が自然科学にとって受難の一つであるのと同様に、1999年を超えてしまったことが大きな物語としての"オカルト"を衰退させた一因となっているかもしれないねという説。
[1-1]「夢の未来:21世紀」が死に「ノストラダムス的恐怖の大王」が死んでオカルトと科学がおわり、終わりなき日常を生きる小さな安心感の集合体としての疑似科学扇動者とプロパーだけが残る。死んだことになっている「科学」といってもいわゆる、科学的な議論のプロセスとか、安易に結論に飛びつくことなく謙虚に検証のようないわゆる"科学"は元から流行ってない。我々のような奇人が世間の隅っこですまなそうにこそこそやっているだけの作業。多くの人にとって科学技術とは科学的議論の排泄物/結論としての「科学的知識/権威」や「夢の未来技術」の類。死者リストに加えると「夢の未来」と「終末オカルト」に先行して90年代初頭にある一定の政治経済的立場の人たちが理想社会への可能性を志向していたある種の国家的経済実験群の物語が死んだ。理念はまだ生きているという人もいるが、どうみても死体。
90年代から00年にかけては、あらゆる夢と神話を火葬していく時代。異界からの侵略者とか、理性によって実現された理想福祉社会とか、未来都市、そんなものが1次元(文学)か2次元(アニメ/漫画/映画の類)にしか存在しないだろうことは、あの手の内容を信奉していた人でも薄々気づいていた。幸福なことに夢は期限付き(cf. 1999年)、ちゃんと現実を突きつけるのは遅かれ早かれ必要な作業。
[2]オカルト離れ:今時、UFO番組をやろうとも、世界終焉についてやろうとも、未知の生物について探検しようとも視聴率がとれないしビジネスにならない。別に未知の生物が発見されたところで「それで何?」という話。多くの人にとってはシャドウガバメントが存在しようが、X-FILE的なナニカがあろうが関心は無い。そのようなものを追い求めるのは90年代を懐古する老人だけ。
[3]理科離れ:昔からこの程度の関心だったんじゃないかと、別に今に始まったことなのだろうか。別に余剰次元が発見されようとビックバンが解明されようとほとんどの人たちに関心ももたれないだろうという諦念はある。昔のことはよく知らないので嘗てはもっと一般の関心を集めていたのかは確証がない。1930年頃の資料を見ると今より科学に熱い視線が送られているようにもみえ、上の世代に聞くと30年ぐらい前はもっとあたたかい目で見られていたという話は聞く。
[2-1]証言:程度のほどは知らないが中学時代の知人などでは、ノストラダムスを結構本気にしていた人も多かったりする。「グランドクロスが起きて大変なことになるとかけっこう信じてた」みたいな話を聞く。一見して結局何も起こらなかったことは2000年代におけるオカルトの壊滅的な事情の要因としてあげることができるかもしれない。連動して心霊特集とかも減った気がする。
[3-1]証言:「21世紀になったら、真っ白い超々高層ビルが立ち並び、ガラスのチューブに空飛ぶ車が走っている世界になると思ってた。」というのは2000年-2003年ぐらいの極狭い時代でいくつか語られ、すでにそのような視点で語られたことすら歴史から忘却されつつある。21世紀になったらやってくる正体不明の「ユメノミライ」が「おわりなき日常」に置き換えられ馴染むまでそれほどかからない。この根拠の無い「夢の未来」がどの程度の人に漠然としたテンプレートとして存在していたのかは知る由も無いので、かなり独りよがりな想像になってしまうが、知人数人の証言の限りでは少なくとも90年代末には漠然とした「未来像」が存在していたと推定される。
[2.5]現実:当時においても、「何故ガラスのチューブで道路を覆うコストを掛ける必要があるのか。必要ないだろ常識的に考えて」「何故窓も無い白亜のビルに住む必要がある、窓無いと不便だろ。外から見たら壁だが中からは透明みたいな実用上どうでもいいところにどうして金を使う必要がある。」「カッシーニが落ちたくらいで人類が壊滅状態になっていたら今頃ロシアは無人地帯だよ。」「しょぼいグランドクロスで世界崩壊とか蛆でも湧いてるのか」のように突っ込むことはできた。が、少なくとも表面的には主流ではなかった。
[3-1-1]経済発展:新しい技術で劇的に生活が変わっていく実感の延長としての未来感。平均寿命や衣食住に代表されるような日本における生活の劇的変化は科学技術由来ではなく主に経済発展によるものとされる。戦後にみられた右肩上がりの強力な経済発展が科学技術による生活変化「アカルイミライ」を誇張して作った幻影という見方。戦前の日本の世界における経済水準を考えると、相対的にそれほど劇的な経済発展を遂げたのかは疑問が残る。この点については戦後の経済水準の変化速度が異なるアメリカなどとの比較社会的な検討が必要。
因みに、バブルを知らない失われた20年に育った私は生活の変化などほとんど体験していないけどね、パソコンは生まれたときから家にあったし。
[4-1]現代:疑似科学においてもオカルトにおいても共通して流行しているテーマは、「マイナスイオン」だとか「健康食品」だとか「人生」とか個人のドメスティックな話関する話。間違っても、異世界とか未知生物みたいな大きな物語系ではない。星占いや動物占いや血液型占いとといった「占い業界」の盛衰度が20年前と比較して栄えているかは資料が無い。
[4-2]現代:科学の領域では多くの人々を引き付け魅了し熱中させるような主題はまだ示せていない。人々の主要な関心に「新世界」「新発見」や「未来」は含まれておらず、個々人の「健康」や「安心」のようなドメスティックなものに主眼が置かれているとした場合、この土俵で科学サイドに引き込むのは厳しいだろう。
[4-2-1]周辺領域:周辺事態:科学、疑似科学、未科学、周辺科学、オカルト、この辺の動きが微妙に変化している。古典オカルトと関連の強い団体宗教の動きについてはあまり追っていない。一部が疑似科学批判を始めているようだが、科学サイドにもたらす利益は薄いと推定。あの手の詐欺はこちら側の人間の心情としては座視できないけど、あれやって科学プロパーが増えるのかな。
[5]流行っていないとはいえ、未だに"夢"を見たい人は一定数存在。現実は甘くないとは知りつつも、どこかでそういうものを期待している人たち。彼らに「未来が来るかもしれない」という幻想を見続けさせる老人ホームとしての存在理由。そういう点ではオカルトとは最悪共存できるかもしれない、疑似科学とは無理でも。
次に来る世代が「夢を追うとか空気嫁プギャー」な21世紀順応世代であるという噂がある程度の確度を持っているのであれば、老人ホームとしての役割も次第に終えることができるだろう。あとは細々とやるさ。