今年夏のサイエンスカフェはゆるふわ空中戦艦で

原理は単純で理解しやすく、視覚的に訴えるものがあるよい実験だ。水槽に重たいガスが溜まっているせいで浮いている。ただ、ここで使われているSF6は少々毒性があるので、何をするかわからない子供たちがいる場所で使う際には注意する必要がある。

サイエンスカフェでの質問がマンネリな件ついて

ところで、サイエンスカフェや公開日などのイベントでは質問コーナーがある。「相対論は間違っている」と主張する元気なおじさんから、「宇宙ってなんですか」と聞いてくる小学生まで色んな人の相手をする。

それこそ何時間でも受け答えする。質問に答えるのはわりと好きなので、というか興味の無い友人の前で薀蓄を撒き散らすのは非コミュもいいところなのでこういうリミット解除できる場所で嬉々として発散している痛い子な訳だが(そういう意味では2次元に造詣の深いコンデンサーな人たちとかわらない気がする)、彼らの質問は何十年あるいは何百年も昔に議論されていた内容がほとんどで少し口惜しい。

一般の方が普通に考えるような疑問の大半はそれなりの説明が用意されてしまっている。そいういうのに応えるなら研究者よりサイエンスライターのほうがよほど得意だ。典型的な疑問に受動的にQ&Aするだけなら研究者がこの世界から消えても支障はない。

私には夢がある。「私たちの問い」が「人類の問い」になる日を

研究から人類の素朴な疑問に応える使命が剥奪されて久しい。研究が進むにつれて分からないことや謎はどんどん増えているが、新たな謎は専門外にいる人たちから見れば重箱もいいところ。それは人類にとっての謎ではなく、一部の学術オタクにとっての謎だ。

他人のお金を使って研究しその結果が何らかの影響を生む以上、研究に対する説明責任が存在する。むしろ、研究の動機や概要を遍く広く布教したい。次々と直面する新たな謎、より精緻になる理論、世界で未だ誰も到達したことの無い異界への旅で見た怪物の数々、むしろこっちから「今、こんな凄い謎があるんだ。こういうことが知りたくて研究しているんだ。」って伝えたい。そして、それが重箱の隅ではなく宇宙全体に関わる極めて重要な謎であることを伝えたい。

しかし、それを伝える言葉が無い。運がよければ研究の概要ぐらい伝えられるかもしれないが、動機は無理。細々としたオタクの問いではなく、普遍的な人類の問いとして実感してもらうことには絶望を感じる。諦めるという選択肢もあるけど、それでスポンサーとの関係がいつまでも続くとは考えがたい。

私たちが、今、疑問としていることを彼らと共有できる日はきっと来ない。淡い期待を抱きながら、質問に応えているだけではダメだ。ではどうしたら。