ニュートン力学的時間論

ニュートン力学は非常に自然な時間概念だ。ある時刻(現在)に対して世界は過去と未来の二つの領域に切断される。ある時刻(切断面)に於ける情報は過去のみの影響を受け発展方程式によって未来に伝達される形で記述される。
[tex: tt_0]未来
しかし、こんな単純な時間論ができたのは1905年までだ。

特殊相対論(ローレンツ対称性)

特殊相対論は大域的な座標変換の理論であり、時空はいかなる慣性系においても常に過去か未来になる「時間的領域(絶対過去/絶対未来)」、と基準系のとりかたによって未来にも現在にも過去にもなりうる「空間的領域」の3つに分断される。ある時空点における情報は絶対過去のみを受け継ぎ、絶対未来へのみ伝達される。空間的領域は事象の発展に寄与しない。

光速が無限大になる極限では、空間的領域がピンチしニュートン的時空としてまったく等質になるように思われるが、ここで着目に値するのはニュートン的時空が遠隔作用を許容しているのに対して、特殊相対論的時空は局所作用しか認めていない点だ。

一般相対論(重力理論)

一般相対論における時空像はまた少し異なる。一般時空では距離や時刻は無限小の領域においてしか定義することができない。離れた2点の距離や時間を厳密で一意に定義する操作的手法は存在しない。代わりに時間と空間が混ざり合った世界間隔が異なる時空点の事象を関連づける定義可能量となる。「時間」や「空間」という概念が近似的に成立するのは、安定して穏やかな時空のみだ。時空が激しく変動し泡だっている場合、ある2点間の距離を計測することや、2つの時計を比較することは意味を成さない。

一般相対論まで時空を拡張しても因果律や時間秩序は局所的(無限小の範囲)では成立するが、大域的な分別を保証するものではない。一般相対論においては時間がループするような解、大域的な時間軸が定義できない解、そのような解は無数に存在する。この状況においては、過去や未来は意味を喪失する。大域的な時間順序を保障することができないのだ。

もちろん、そのような時空が理論的に可能であるというだけであって、現実に観測されている時空はほとんどミンコフスキー的であり時間軸もほぼ定義できる。

もうすこし一般的な時空論と因果律

因果律の具体的形式はある"状態"を決定する情報が何によって決定されると考えているかの形式表明である。一般に物理学では、ある時空点の状態はその状態の有限次の微分、つまり時空点から無限小の世界間隔の情報によって決定されるという局所因果律によって記述される。これは量子論になってもかわることはない(状態と観測値は別の概念であることに留意されたし)。

時空は状態を格納する入れ物(アドレス)のように扱われることが多いが、状態自体と独立に宣言される配列の類ではない。一般時空では時空は唯一究極の状態量であるエネルギー(物質)分布によって規定されるが、状態、すなわちエネルギー(物質)分布は時空の構造によって規定される相補的な関係にある。

いくつかの高次元重力理論で見られるような、時間が複数軸ある理論では状態の決定は初期値問題から境界値問題になり、「時間」の意味するニュアンスはまったく異なるものへと変貌する。その場合時間は一本道の決まったルートではなく、奇妙な多次元の構造体。時間が複数あっても適当な時空設定の元では我々の感じるスケールで時間が一本であると近似されるように設定することは可能。

ブレーンワールドを超えて

時空構造はスピン構造や重力理論と切り離せない関係にあり、また、ゴーストと余剰次元、超対称性と非可換時空、超弦理論と共形不変性、AdS/CFT対応とホログラフィック原理、多様体的時空と時空量子化といったより面白いレベルでの時空が盛んに研究されている。近年流行のブレーンは物質を拘束する"世界"でありながら、それ自体が運動し相互作用する。そしていままで無関係と思われていた様々な対象がデュアリティや対称性によって融合しつつある。

いくつかの実験と理論的研究が示唆するところによれば、時空の数学的全像は普通の数の理論によって記述されるものではなく、また我々のスケールから単純にイメージされるものともかけ離れているだろう。ちょうど、鳥取砂丘をみて地球全体を想像するようなものだ。おそらくこの21世紀、物理学が仮設する"時間像"は20世紀がそうであったように変貌を遂げるだろう。