数学オリンピックとか

数学オリンピックについて思うこと

を読んだ。

以下、完全に主観と予防線を張った上で、

国際数学オリンピックの問題が放つ思念と魅力に比べたら、受験数学など色あせるよね。「T大学の後期試験は非常にに数学的な発想力を問う・・・」なんて笑わせる。既知の解法を適応する単純作業ではなく、IMOは1問1問が未知の世界であり創造の過程だ。高校を出ているならば予備知識はいらないので恐れを知らない者は挑戦してみるといい。

  1. ただし10時間考えた程度で「越えられない壁」と諦めないこと。世界トップクラスでも解答に1時間はかかる。しかしながら「これ以上考えても新しいアイデアは出てこない。」と10分程度で挫折する者はあまりにも多い。最初は手をかける場所も無いようなツルツルの絶壁にみえるかもしれないが、注意深くクラックを探してみてほしい。
  2. 必要なのは才能ではないし、限られた人だけがもつ数学の翼ではない。理論への意志と忍耐力を捨てなければ誰でも道を切り開く潜在性がある。ただし近道は常に探すべし。パターン認知の変態御用達パズルではないので、安易に「天与の才能が・・・」と決め付けて拒絶しない。
  3. 運や奇跡は大事だが期待しない。単なる偶発的な事故によって人が空を飛ぶことはない。空を飛翔するのに必要なのは風の流れを捉えようとアンテナをのばし、必要な道具を意識すること。
  4. 大学の専門知識はそれほど助けてはくれない。ジェットエンジンはかえって翼を重くすることがあるが、機体強度に自信があるならどうぞ。ただし、その問いは現代数学の恐るべき深淵に繋がっていること多々あり。
  5. 難しければ、条件を絞ったり広げて足場を作る。いくつか具体例を調べてみる。別の問題に変換したり、条件を変えてみる。何の条件が決定的に解答を阻んでいるのかよく調べる。自分がいま何をやっているのかちゃんと把握する。

得体の知れない論理の化け物に出会ったとき、自らが内なる数学に対してどう接してきたか問われることになった。滅茶苦茶複雑な知恵の輪が渡されているのではなくひとつの文章「意思を持った問い」が提示され、己の数学観や経験の流れを問い直した。「問い」が語る紆余曲折の生い立ちを聞こうと耳をすまし、広大な記号の砂漠の中、砂嵐の声を頼りに耐えてさまよった。岩肌に注意深く耳をあて、今までの視界を遥かに越えて広がっている概念の地下水の予感にそわそわした。恐らく正しい方向に向かっている。数千キロの飛行の果て、疲れた脳髄の中にいままで考えたこともなかったあたらしい概念が創造されていることを発見した。

上記の過程を制限時間内で指定量こなすのは紛うことなき変態だと思うけど、時間無制限なら誰でも齧ることくらいはできると思います。とりあえず過去問を載せておきます。1問90分で完答できたら前後数学年含めて全国トップ相当かメダリスト級だけど、とりあえず時間は気にしない方向で。

2007年(IMOベトナム大会)
2006年(IMOスロベニア大会)
2005年(IMOメリダ大会)