歴史上の世界最大都市のまとめ:氷河期の終わりから現代の東京まで
歴史上の世界最大都市をまとめてみた。最大都市は世界で最もホットだった場所の指標である。中世西洋史みたいな当時の田舎の記述はすべて省略した人口で追う世界史。
とはいえ、適当にサイト資料を集めてきただけの自分用メモ。適当に簡略化しているし、歴史は専門でもなんでもないのであまり記述を鵜呑みにしないように。
まず文明以前の超古代都市から。5000年以上前に人口1万人を超えた都市はほとんど存在しない。歴史に名を残す古代都市といえど現代の過疎で悩む市区町村よりも人口は少ない。
11000年前:Jericho (エリコ) [パレスチナ] BC9000-現代
1万1000年以上の歴史を誇る世界最古の都市、途中放棄された時期もあったが今もそこに存在する。10000年前には城壁があったことが確認されている正真正銘の「町」であり聖書や神話などにも登場する最古参だ。居住の形跡は氷河期が終わった直後の12000年前に遡るともいわれる。9000年前には2000人もの人口を抱えていたといわれるが、現在の人口は2万人である。なんという人口増加率。
9000年前 : Tell Abu Hureyra (テル アブ フレイラ) [シリア] BC9500-BC5000
農業発祥の町。氷河期が終了した直後の11000年前にはライ麦を育てたりしている。確認された範囲では人類がはじめて農業を行って人口集積した場所だ。文明発祥の地であるオリエント、その歴史の最深部に眠る太古の巨大集落だ。9000年前の最盛期には農地も広がり7000人の居住者がいた。これは中石器時代でせいぜい数十人の小さな集落ばかりだった当時の世界情勢を考えれば異常な規模だ。7000年ほど前に破棄される。
この時代と前後して今から8000年前に栄えた Çatalhöyük [トルコ]が有名だ。10000人に達したとも言われる。
BC3500-BC2700 (6000年前) : Uruk (ウルク) [イラク] BC5000-AD1000
くさび形文字で有名な、文字発祥の地。最初の文明であるシュメールの黎明を飾った輝かしき都市。都市国家群の中心を担った存在であり、世界最大の都市として1000年にわたり君臨した。最盛期のBC2800頃には8万もの人口を抱えた。ギルガメッシュ王は何故かゲーマーなどによく知られてる。前28世紀には乾燥などの気候変動に苦しめられた。塩害などに悩まされながら、徐々に景色は砂漠へと変貌していく。
6000年前から4000年前はイラクがもっとも輝いていた時代であり、メソポタミアはまさに世界の中心だった。肥沃な三角地帯は数千人から1万人規模の都市をいくつも抱えていた。乾燥から逃れるように人口は河川に集積し高度な社会を築いた。食料生産は減少しつづけ、シュメールの文明は前20世紀には衰退した。
BC2000 : メンフィス[エジプト]、モヘンジョダロ[パキスタン]
エジプト文明のメンフィス(3万人)やインダス文明のモヘンジョダロ(4万人)といった馴染みの顔が現れる。人口数万人の町が何千年と語られる文明を作ったのだ。すこしして BC1200ごろに中華文明の殷(人口10万人)が出てくる。4大文明がすべて出そろった。ただし、異なる時代の人口比較で注意すべきは、この時期は世界人口が1000年毎に倍増しているということ。
BC1000からBC500あたりは王座にエジプトやバビロニア・中国の10万人都市あたりが君臨している。最初の画像のように新バビロニアが世界最大の20万都市を擁する中東の覇王だった時代もあったとさ。ユダヤ人が捕囚されたりしている。オリエントを支配した世界帝国アッシリアの二ネベ(12万人)も忘れないであげてください。ウルク以来の世界都市だ。
BC500-BC200 : チェニジア[チェニジア]、アレクサンドリア[エジプト]、そしてローマ[イタリア]
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この頃になると地中海の交易も盛んになり、海の王者カルタゴが50万都市チェニジアをはじめとする豊かな貿易国家を築く。50万人というと時代が一つ変わった印象だ。その後、同じく頭角を現し始めた陸の王者ローマとの間で覇権争いが展開され、カルタゴは壮絶に散る(BC149)のだが脱線するので省略する。象軍団こわいよ象軍団。
さて、この辺でギリシアはどうしたという話になるが、文化的な意味では重要だろうけど都市的な意味で省略。
その少し前、BC300ぐらいに、大王率いるマケドニアの遠征があったりして、ついに人類史上初の100万都市アレクサンドリアが誕生する。しかし繁栄は長くは続かず、地中海はローマの手に落ちる。ローマの人口は最盛期(AD200頃)に120万に達したという。
共和制、帝政を経たローマは4世紀末に分裂、ゲルマン人の侵入に脅かされ衰退する。西のローマに代わり東のコンスタンティノポリス(イスタンブール)[トルコ]が世界最大都市の座を引き継ぐ。ただし、人口はローマの半分程度の60万人。下の写真は東ローマ帝国のコンスタンティノポリスだ。この時期は、時々中華王朝の都と競っている。
8c-12c : Baghdad (バグダード) [イラク] 758AD-now
8世紀から12世紀に掛けては円形城塞都市バグダッドの時代だ。イスラーム勢力が隆盛を極め、交易や経済の中心地として栄えた。シルクロード美味しいです。
12c-16c : 杭州、北京 [中国]
唐の長安は100万都市だったが、西にはバグダードやローマが健在だった。中国地域は古くから巨大都市を擁していたが、惜しくも世界の頂点にはなかった。支配王朝の変遷とともに中心都市は移り変わるものの100万都市の系譜が連綿と続いている。15c前後においては、イスタンブールを抑えてついに南宋や元の杭州や明清の北京が王座に君臨する。
因みに、20万都市鎌倉が世界5大都市の中に入っていたりする。日本が意外に健闘している理由は私にはよくわからない。京都なんかも結構いい位置につけている。世界史的には忘れられがちだが、東南アジアもアンコールやアユタヤなどの世界最大クラスの都市が突発的に現れては消えたりしている。東南アジアは海上交易の要だ。
17c/18c : 江戸[日本]、イスタンブール[トルコ]、北京[ 中国 ]
資料によって順位や人口に差はあるが、この時代の100万都市といったらこの3つだろう。ロンドン[イギリス]や広州[中国]が入ることもある。18世紀も中程に入ると、ロンドンを筆頭とするヨーロッパ勢が怒濤の快進撃を始める。それまでの欧州は歴史に名を残す中心都市でも20万規模だった。(ローマ除く)
江戸が食い込んでいるのは、意外に悪くない当時の米の生産性のせいで結構繁殖したからな気がする。不作だったときには大変なことになる訳だが。や、もちろん裏付けのないただの妄想だけど。
19c : 世界の首都ロンドン [イギリス]
19世紀は大英帝国のターンだ。清教徒革命、農業革命、産業革命、様々な革新を経て爆発的に膨張したイギリスはビクトリア朝時代にその絶頂期を迎える。ロンドンは19世紀初頭に100万都市まで急膨張、その後は他をぶっちぎって拡大し続け、19世紀末には前代未聞の650万の人口を抱えるに至る。まさに、チート。おまえは明治維新かと小一時間(ry
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20c : 鉄とガラスとニューヨーク [アメリカ]
第一次世界大戦後の1925年、躍進を続けるアメリカのニューヨークがロンドンの人口を抜いた。人類史上初の1000万都市には摩天楼が立ち並び、アメリカ時代の象徴となった。(写真は1940年)
1965-現在 : 趣都だったりロンダルキアだったりする東京 [日本]
現在の東京都市圏の人口は3400万人ともいわれる。特別行政区および衛星市で構成される人類史上最大の都市圏だ。東京圏がこれだけの人口を集積するに至った要因はいろいろと考えられるだろう。東京圏は未だにゆるやかな成長を続けており、これからも地方の人口を吸い続ける。国連の人口推計では2025年でも世界最大の都市の座に留まっていると考えられている。