太陽の光はどこまで届く?
これからの季節、大いなる正午の直射日光は、それに照らされた鉄路の小石ですらその一つ一つをギラギラと輝かせる。
太陽、この偉大な天体の明るさはさらに一段上の形容詞が必要なほどで、「死と太陽は直視できない」とまでいわれる。うそだと思ったらほんの1分ほど太陽を見てみよう、みごとに目から光をくりぬかれることになる。
それほど激烈な光を放つ太陽ではあるが、その明るさが無限ではない以上、十分な距離をとってしまえば、ずいぶん小さく頼りないものになってしまうだろう。太陽から離れ、果てしない旅路の果て、いずれは太陽の光を肉眼ではもう認められなくなる時がやってくる。
実視6等を限界とすれば、その距離は約50光年だ。
意外と近いと思った人も多いのではないだろうか。高々50光年、宇宙の話題ではまるでご近所のように書かれるが、それは太陽クラスの光がその方角にありながら視界か失せてしまうほどの距離だ。
夜空の深さを探る
太陽の光が50光年しか届かないというイメージをもつと、夜空に対する見方がすこし回転する。
「星空は無限に深い淵を覗いているようだけど、いったい、どのくらいの深さまで見えているのだろう。」
ベガやスピカのような有名な星から名前も知らない者達まで数千の点々がビッシリと霜のように満たした砂漠の星空を思い浮かべる。夜風が背中をサワサワするなか空を見上げる。あの満天の星空が放つ重厚感ですら、無限の宇宙どころか、何万光年と広がる銀河世界の樹海ですらなく、我々の目と鼻の先、わずか数十光年に生える木々にすぎないのだろうか。
銀河系を満たすもの
実情は少し異なる。まず、近傍の星なら見えると考えるのは不適切だ。
小惑星サイズの分布関数よろしく恒星の質量はベキ乗分布をしており、銀河系の恒星は太陽より軽い星が圧倒的マジョリティを構成している。銀河系からランダムサンプリングで選ばれるようなふつーの庶民は、例えば、質量が太陽の数分の一、明るさは1/100や時に1/10000以下、寿命は数千億年から1兆年以上といった具合だ。
サイレントマジョリティ:隣にいても気づかれない多数の星たち。
銀河系は無数の目には見えない星で埋め尽くされている。
我々は太陽を標準的な明るさの天体だと見做しがちだが、太陽ほど明るい天体はごく一部だ。銀河系の8割の恒星は隣人であっても目視が困難な明るさだ。例えばバーナード星や惑星発見で話題になったグリーゼ876は太陽系最近傍の恒星であるが、どれも望遠鏡や光学センサーなしには検出できない。
星の世界は王侯貴族しか認知されない格差社会
じゃあ、星座を形作っている星は結局何者なのか?
彼らは近所に生えている不可視の木ではなく、すこしはなれたところにある世界樹みたいなもの、無数の星から卓越した真に明るい天体だ。太陽に最も近い恒星であるアルファケンタウリのBという例外を除けば、2等星以上は全て太陽より明るい。その光度は他を隔絶しており、太陽の数十倍程度の明るさの星もあれば10万倍を超える怪物星もある。
例えば、地球から400光年離れたところにある北極星は太陽2000個分の明るさだ。もし、太陽が北極星の位置にあっても何も見えないが、北極星が太陽の位置にあれば地球は焼き尽くされてしまうだろう。
オリオン座:青い星は主に紫外線で、ベテルギウスは赤外線で光っているので可視光だけでなく全波長でエネルギーを積分するとさらに太陽との格差が広がる。
リゲル「ピピピ、光度たったの0.01Loか、ゴミめ」
とかなんとか
重たい星は質量の2.5乗に反比例して少なくなっていくが、明るさは質量の3.5乗で増えていく。光が届く距離は明るさの0.5乗だから、光が届く領域の体積は明るさの 1.5乗、すなわち、質量の5乗で増大する。これは大質量星の希少さを補って余りあるほどで、夜空に目立つ恒星は絶対等級の高い王侯貴族で占められることになる。
星を比較する動画ではその大きさに着目されることが多いが、明るさの格差はそれを遥かに上回る。太陽が1年かけて放出するエネルギーを1秒で消費する星もあれば、1万年を超える時間が必要な星もある。恒星に限定しなければ、 Supermassive Black Hole のよう太陽の数兆倍のエネルギーを放ちながら、物質を何百万光年の彼方まで撒き散らしている天体もある。
星空を眺めたとき、太陽みたいな星がそこにあると思うのはあまり適切ではない。基本、太陽よりすごく明るいからこれほどの距離を越えて見えている。
これの明るさバージョン、どうやったら表現できるだろう