温度とは何か:負の絶対温度をめぐる疑問など

ひと月ほど前に流れた「負の絶対温度」のニュースに関して、興味をそそった反応をリストアップしておこう。

最初に、「永久機関が実現する!!!」みたいな反応は >/dev/null

2番目に、「負の温度がわからん」と言っている人がいる。ただ、このうち何パーセントが「正の温度」の定義を説明できるだろう。

3番目に、物理クラスターの一部だが、永久機関の実現といった誤解を打ち消すために、「レーザーの反転分布と同じ(笑)」などと、この研究の新奇性や研究グループ自体を過小評価する方々がいる。

この研究グループは、光格子を操ることにかけては世界最強クラスの実績がある。光格子における超流動Mott絶縁体転移や、量子気体顕微鏡による光格子1サイト内の原子観測といった、数々の偉業を達成している。また、多数の理論屋が在籍しており、理論面の基礎でミスを犯す可能性は低いだろう。既存体系を覆すような大発見ではないとはいえ、齧った程度で安易にdisれるほどつまらない成果でもないだろう

最後に、「負の温度がある場合、熱効率はどうなる?」「エネルギー表示の基本関係式が一価関数でないのは厄介なのでは?」といった疑問がある。負温度の熱力学はどのような姿をしているのだろう。

A1. まずは温度に対する日常的なイメージを忘れよう



Q. 温度とは何か


Q. 373Kの水と374Kの水蒸気では何が0.27%異なるのか







このQuestionに対してどう答えよう


図1.温度と体積変化と内部エネルギーは異なる量

温度は物体の内部エネルギーに比例しないし、熱膨張は一定ではない。浮世に理想気体は存在しないし、水銀温度計のメモリは厳密には等間隔ではない。別の量だ。

もちろん皮膚の刺激の強さに対応するわけでもない。皮膚は80℃のサウナより60℃のお湯を熱いと感じる。人体が感じる熱さは雑念になるので忘れよう。

温度の定義には「エントロピー」と呼ばれる小悪魔が住み着いている。それなしでも説明できるが、あったほうが幸せになれる。たぶん。

A2. エントロピー:熱を支配するもの

すこし復習


図2. 自然界は最大最小値問題に満ちている

物理学では現象をある関数の最大最小値問題として記述する手法がよく用いられる(図2)。例えば、光線sは屈折率分布nに対して光路長D(n,s)が最小になるように振る舞うし、粒子はその位置rや速度vに対して作用関数 ∫ L(r,v)dt を最小にするように運動する。

熱力学に関しても、内部エネルギーE、体積V、磁化M、……といった変数や拘束条件の組Xに対して、ある関数S(X)の最大値問題として記述することができる。

Sをエントロピーと呼び、自然なXによって書かれたS(X)は、対象の熱力学的情報をすべて含んでいる*1。例えば理想気体ならX=(E,V,N)に対して以下のS(X)がすべてを体現している。

 S(E,V,N) = NR ln\left( \left(\frac{E}{E_0}\right)^{c} \left(\frac{V}{V_0}\right) \left(\frac{N}{N_0}\right)^{-c-1}\right) + Ns_0

ここからPV=NRTやE=cNRTといった使いたい関係式を取り出すことができ、具体的な(E,V,N)を与えると、温度や化学ポテンシャルをはじめとした残りのすべての状態量が一つに定まる。*2

A3. 温度の定義

絶対温度TをS(X)の内部エネルギーE方向の傾きβで定義しよう。
(※ 簡単のためボルツマン定数kは1とする)


  \frac{1}{T} \equiv \beta \equiv \left(\frac{\partial S(E,N,V,M,......)}{\partial E} \right)_{N,V,M,......}

すこし説明


図3.2つの物体とエネルギーが移動する方向
aよりbの方が(∂S/∂E)が大きい。(∂S/∂E)が大きい方向にエネルギーの流れが生じる。bにΔE=0.1移ると、全体のエントロピーは0.19増加する。

図3のように宇宙に2つの物体a b のみが存在して、それぞれのエントロピーがSa(E)、Sb(E)とエネルギーの関数で書けるとしよう*3

両者を理想的な熱橋でつないで放置すると、全体のエントロピーS(=Sa+Sb)を増大させる方向にエネルギーの再配置が生じる。エネルギーにとって約束の地はエントロピー増加率β(=∂S/∂E)が大きい場所だ。βが大きいことを冷たい、小さいことを熱いと呼ぶことにする。

絶対温度Tはβの逆数として与えられる。日常生活ではTのほうが圧倒的に使うけど、物理学ではβもTも計算に応じて便利な方を使う。

エントロピーとβからみた熱いものと冷たいものが等温になる過程
  1. (孤立系の)全エントロピーSは常に増加する(ΔS=0の場合もある)
  2. エネルギーは熱いところ(β小)から冷たいところ(β大)に流れる
  3. S(E)は上に凸であり、Eが増えるほどβは小さくなる(Δβ=0の場合もある)
  4. 両者のβが等しくなった時、Sが最大(熱平衡)

A4. 負の温度は無限温度より熱い

もし、β<0になる物体があった場合、絶対温度T(=1/β)が負となることがわかる。物体をどんどん熱くして(β→小)、ついにβ=0に到達すると無限温度(T=±∞)であり、さらに熱くなってβ<0のときT<0でありこれを負の絶対温度という。


図4.温度の序列構造

βは符号によらず小さいほど熱い。β=+∞が最も冷たく、β=-∞が最も熱い。

Tは注意が必要で、T>0の範囲においてはTが大きいほど熱いが、T<0においてはTが小さいほど熱い。そしてT<0はあらゆるT>0より熱い。

(正の温度だけなら、カルノーサイクルで出入りする熱の比をもって絶対温度Tを定義するのが楽ちんだろうけど、負の温度を含むと議論がややこしい)

A5. 無限温度は世界を焼き尽くさない

  1. 無限温度(∂S/∂E)=0だからといってEが大きいとは限らない
  2. 無限温度は世界を焼きつくすとはいえない
  3. 負の温度(∂S/∂E)<0だからといってEが負であるとはいえない
  4. 同様に、負の温度も世界を焼きつくすとはいえない
  5. だたし、通常の物体は常に∂S/∂E>0であり負の温度にならない
  6. S ~ log E っぽいときE~T~1/β

A6. まとめ:エントロピーS、エネルギーE、温度T、逆温度βの関係

まとめると以下のようなグラフになる。


図5. S,E,T,βの関係

まず、エントロピーSは、エネルギーEが増大するにつれて増加していくが、S(E)が上に凸であるため傾き(β)は減少していく、鉄や空気のような普通の物質はいくらエネルギーが増加してもS(E)の傾きβが0 まで低下することはないが、特殊な系においてはSが最大値(β=0)を持ち、それを超えるエネルギーでは傾きが負になる。この領域が負の温度。

グラフ参照 http://www.quantum-munich.de/research/negative-absolute-temperature/

すこしだけミクロ状態の話

また、このエントリでは統計力学的な内容にあまり触れないが、図5では、ミクロ状態(例えば個別分子の運動エネルギー)の分布 n(E)が、正温度、無限温度、負温度の3つに対して描かれている(緑色の線)。n(E)はn(E)~exp(-βE) で表され、β>0の時は低エネルギー側に寄っているが、β=0でフラットになり、β<0では高エネルギー側に偏る。

総エネルギーはβが小さいほど大きい。

エントロピーはミクロ状態が全ての準位に均一に分布している時最大になり(β=0)、どちらかに偏っている時は小さくなる。
これに関してはC2の、参考リンクでいくつか説明されている


図6.ミクロ状態の分布と温度の関係
縦方向が個別粒子の持っているエネルギー(上が高エネルギー)。横方向は右に行くほど高温で、左が正の絶対温度、中央が無限温度、右側が負の絶対温度。無限温度や負の温度は、個別粒子のエネルギーに上限がある物体でしか成立しない。

さて実験のはなし、ここからすこし難しくなる

B1. 実験:今回の「負の温度」はどういう点が新しいか

この実験で使われている温度に関しては、"We use the textbook definition of temperature."と主張しているように、特に新しい温度を持ち出しているわけではないそうだ。

Negative Absolute Temperature for Motional Degrees of Freedom
http://www.sciencemag.org/content/339/6115/52

今回の研究で注目すべきは次の点だろう。

  1. 平衡状態
  2. 連続準位

B2. 実験:平衡状態を達成したのか?

特に、前者、どのくらい平衡状態とみなせるかはこの実験を評価する上でかなり重要な点だ。

基本的に熱力学は平衡状態のマクロ変数を記述する理論であり、上準位にポンピングしているような非平衡系に安易に適応することはできない。負温度の安定性からみても、完全な平衡状態を達成したとなれば一大事である。

当然、彼らも重要性は知っておりFAQで、レーザーのようなスイッチ切ればすぐ落下する軟弱者とは異なると強調している。

http://www.quantum-munich.de/research/negative-absolute-temperature/

Do your atoms really have negative absolute temperature or do they just behave like that?

Our atoms really have negative absolute temperature!
The way temperature is defined tells us the following: If a system thermalizes, i.e. tries to reach thermal equilibrium, and if we can describe the distribution of the system with some Boltzmann distribution, and if this distribution remains stable over some time, we know that the system has reached thermal equilibrium. We can then assign the corresponding temperature to the system. The system then really has this temperature. In our case, as the Boltzmann distribution of our atoms is inverted, this temperature is negative.

Do lasers also have a negative absolute temperature?

No! A temperature can only be assigned to a state in thermal equilibrium. This means states that, when left alone (when the system is thermally isolated) will remain stable and do not change over time. The particles in a laser medium do have an inverted energy population -more particles are in excited states than in low energy states- and their distribution looks indeed similar to a state at negative temperature. This inverted energy population, however, only exists as long as the laser is continuously pumped, i.e. particles are actively pumped into the exited states. When you switch-off the pump, all atoms will decay back into the lower state and their energy goes into the laser beam. So, while pumped, the laser medium is in asteady state, but not in a thermal state. It is not in thermal equilibrium and therefore cannot have a temperature.

読み違えている可能性が多いにあるが、論文を読む限り数百ミリ秒とそれなりに安定しているようであるし、コヒーレンスの崩壊時間も正温度と変わらないようなので、負温度に起因する不安定ではなさそうだ。

光格子からエネルギーをもらっている訳でもなさそうだし、フェッシュバッハ共鳴は磁場を固定した後は仕事をしない。特に外からエネルギーの補給を受けているようには見えない。

ただし、かなりこの分野は門外漢なので、細かい穴がどうなっているかを把握しきれているわけではない。真の平衡状態だと信じているわけではないのだが、指摘があると大変嬉しい。

物理クラスタはあっさりスルーしているけど、安定性に関する議論をもっと聞きたい。

B3. 実験の概要


図7.光格子


この実験では、光格子が六面八臂の活躍を見せている。レーザーの定在波をつかって光のグリッドをつくり、そこに粒子を流し込むと擬似的な結晶をつくることができる。

光格子が通常の結晶実験と異なるのは、その自在性である。無欠陥で不純物を含まない結晶をつくることができ、ポテンシャルの深さや格子間隔を自由に選ぶことが可能である。並べるのはボゾンでもフェルミオンでもよく、さらに、原子間相互作用を斥力から引力まで自由に変えることができる。ハバード模型のようなトイモデルを綺麗に再現するようなハミルトニアンを作ることができ、そのパラメータを自由に操作することができるのだ。

私が理解した範囲での、大雑把な実験レシピは

  1. 中華鍋ポテンシャルに、ボース=アインシュタイン凝縮の原子スープをおく
  2. ハミルトニアンを操作しMott絶縁体にして固めてしまう
  3. 固めている間に、中華鍋ポテンシャルを丘の上みたいなポテンシャルに置き換え、原子間相互作用も反転させる(斥力→引力)
  4. 再び絶縁体から溶かすとあらふしぎ、原子スープがポテンシャルの丘の上にあつまってなかなか落ちて来ません!
  5. 高エネルギーの方が多い状態になっている(負の温度)。しかも、結構安定している!(平衡?)

といったところ。

ちなみに、鍋や丘は光格子のポテンシャルに対応する凸凹がついている。速度分散だとかはトラップを切ってTOF (time of flight)で測っているらしい。普通の正温度で原子間相互作用を引力に変更するとBosenova とよばれる爆縮&爆発を起こすが、この状態ではそうではないらしい。

C1. 補足:マイナス温度の熱力学

再び熱力学の話

レーザーはの反転分布は非平衡系の話なので変なことが起きてもそこまで神経質になることはないし、スピン系負温度も現実には運動の自由度などと切り離せないので安定ではない。

対する安定な平衡状態としての「負の温度」が存在するかとなると、私はかなり疑わしく思っている。

負温度の物体に可逆仕事源を用いて仕事をすると、仕事をすることに何らかの制約を加えない限り、全体のエントロピーが減少していかにも苦しい。

また、内部エネルギーの不安定性も気になるところだ。負温度が存在する場合、内部エネルギーが自然な変数の組に対する一価関数でなくなってしまう。さらに悲惨なことに正温度と負温度でエネルギーの凸性が逆転しているようにみえる。これは(∂p/∂V)>0といった、悪質な関係式に繋がる。

ただ、負の温度では体積も圧力もマイナスとみなせば凸性は問題ないみたいな議論を聞いたこともあり、私の中で理解がまとまっていない。

この辺を詳しく知っている方がいたら話を伺いたい。

C2. 論文倫理:ダークエナジーが云々

最後に、ダークエナジー云々もdisられていた気がするが、これは別に論文の本筋じゃないので私は気にしない。超新星がどうのだとかモノポールがどうのみたいな記述にまったく眉をひそめないかと問われれば嘘になるが、ちょっと”壮大な”話を薬味として添えておくのは、さほどギルティではないと思う。

素粒子や宇宙だって、当人がどの程度信じているか疑われる”エキゾチックな”模型を引っ張ってきて唾だとかリミットをつけることはある。

無垢な記者が食いつくだろうことを知りつつ書くことの倫理的な是非については控えよう。

*1:自然なX:「自然な変数の組」については、適当な熱力学の参考書を参照されたし

*2:一応補足しておくと、エントロピーという関数が特別なのではなく、基本関係式と変数の組み合わせが凄い

*3:示量性はどうするの、というツッコミがあるかも知れないが そういう方は、適当に S(E)->εN*s(E/N)みたいな脳内補完で

*4:このエントリに関して助言を下さった某アカウントに感謝いたします